幼少の頃に五感に刻まれた記憶は、鮮烈な体験となって折に触れて思い出されるのではないか。
ギリシア神話には、ペルセポネが冥界で石榴を口にしてしまい、一年のうちいく月かをハデスの元で過ごさなくてはならなくなったという話がある。幼少期、この神話を学んだ後、先生は「これがその柘榴だよ」と柘榴を差し出した。先生の手のひらに零れた紅い果実はその割れ目から艷めく小さな粒を覗かせており、子供らはめいめい手を伸ばして木の実を口に含んだ。
その思い出があまりに強烈に記憶に焼き付いていて、今から思えば、あれは正しい教育の形だったのだと思う。