Long Title
21.09.16 規約改訂
単語レベルの抜き出しをご遠慮くださいという意味で抜き出しをご遠慮くださいとの旨を記載しておりましたが、「Long」「Example Text」については一文単位の抜き出しも大丈夫です。後からの訂正となりましたことをお詫びいたします。
町の中心には鯨の骨格標本のような不思議な建物がある。背骨を両側から支えるアーチが等間隔に並び、大聖堂のような造りをしている。
先生の手のひらに零れた紅い果実はその割れ目から艷めく小さな粒を覗かせており、子供らはめいめい手を伸ばして木の実を口に含んだ。
あの空に飛ばした僕らの反抗分子は白い切先で夏の青を切り裂いて、きっと君はその割れ目に落ちていったんだろう。
紫陽花が色付く季節になると、胸の奥深くに沈めた痛みが鈍く蘇る。
私たちの関係を表すなら黄昏の光が妥当なのだろう。花盛りを過ぎて夕暮れに差し掛かった男に、人生の青い春を謳歌している青年が囚われる時間。
ぱっくりと割れた腹からまだツヤのある肉色が覗いていた。
自分の名前の由来になった曲を数年ぶりに聴いたとき涙が溢れてきた。なぜなのかは分からない。生前一度も聴いたことがない父親の歌声に何処となく似ていた。ひとつ、思い至ってドキリとしたのは、父親の声を殆どもう思い出せないことだ。これは結構堪える。
口の辺に嘲りの笑い、君の驕慢を皆が陰で馬鹿にしている。
面は蒼ざめ、両つの象嵌された眼だけが輝々と鮮やかだった。
禁欲主義をてらったところで隠しきれない欲気が表層に滲んでいるのだ。
僕が道端で野垂れ死にしてもいいような屑になる前に君が颯爽と現れて首を掻き切ってくれたなら、やっぱりもう一度惚れ直してしまいそうだ。
ピンク色の肺を汚すため、深く息を吸い込んではニコチンにまみれた煙を吐く。一連の行為を「緩やかな自殺」と呼んだのは確か唯一の兄だった。デリカシーの欠如を体現したような男だが、なかなか洒落たことを言うものだと妙に感心したのを憶えている。
お前は犬だろう? 食い意地のはった、どうしようもない汚い犬だ。下水道で寝起きして、そこらの路傍で野垂れ死んでも誰も気にとめない存在だ。
悪趣味だと思った。試されていると思った。弟は何も語らない。代わりに、常に怯えを含ませていた。それは誘いをかける時に微妙に合わぬ視線であったり、矢継ぎ早に連ねられる言い訳だったりから滲むのだ。彼は何より俺の拒絶を恐れているようだった。
その男は黒猫のようだった。しなやかで気まぐれな黒い獣。ゆらゆらと揺れる尻尾が思わせぶりで、だが気安く触れさせない。男の歳は20代後半だというので、猫と呼ぶにはいささか薹が立つ。しかし黒豹などと例えてやるには、どうにも隠しきれない粗暴さが邪魔だった。
「お寒くなって参りました」前を行く女中の後頭部で乱れ一筋ない黒髪が黄熱灯の光に艷めいているのを、凝と見ていた。
総籬の向こうでは女たちが白い顔ばせを涼しげに表へと向けていた。
黒い河の水は月明かりを輝々と弾き、全てを白へと閉じ込める冬の中でそこだけ生きているようだった。明日の朝にはここも凍ってしまうのだろうか。
欄干から身を乗り出して黒々とした水を見つめれば、早朝に浮かぶ白く膨らんだ自らの肢体がありありと目に浮かぶようだった。そしてその光景は心を安らかにした。
特に意味もなく手首を握って膨らんだ血脈のゆっくりとした響きを感じ取ろうとすれば、目の前で喚く声もくぐもって聴こえる気がした。
一度入ってしまえば夜が更けて湯が水へ変わっても出るのが億劫になるのがバスタブというものだ。ふやけていく指先で水を掻きながら、額の髪を後ろへと掻き上げた。
色褪せたモビールがくるくると回っているのをバスタブの中から眺めていた。割れた硝子から射し込む陽の中で塵が煌めいている。
群れて咲く紅い曼珠沙華の中で一際目立つ白色は「白一点」とでも言うのだろうか。
一昨日の雨ですっかり金木犀の花も落ちてしまって、何処へ行っても香っていたあの花の匂いはもうしなくて、僕だけが一昨日の感傷に取り残されている。
湿った土の匂いは身体の底に眠る創造の記憶にきっと結びついていて、雨の日の地面が濡れ冷やされていくときの匂いを必要以上に嗅いでしまう理由もきっとそのせいだ。
たなごころに蝶を閉じ込めただなんて、なんて可愛らしい表現をする方でしょう。
生まれ変わったら何になりたい? 僕はね、青い蝶になって潮水を飲みに、白い砂浜へ翅を休めに行きたいよ。
翼の名残に接吻して。そしたら飛べるような気がするんだ。十三階から飛んだ彼女もきっとそう思っていたはずだよ。
頭が真っ白で、腹の中は真っ黒で笑えるくらいおめでたい人ね。はばかりさま。誰もあなたみたいな人は好いてはくれないわ。
真っ白の五線譜を指先をなぞったって一音も湧きゃしないよ、僕の中の音楽は枯れてしまった、誰にも授ける言の葉のひとつもありゃしない。
僕は間引かれる側の人間だから君の悩みのひとつも分かりゃしないよ、それでも声を聞きたいと思うのは思い上がった願いなんだろうね。
なんで生きているかなんて分からないよ、死にたくないって浅ましい一心で生にしがみついているだけだからさ。
アスファルトに散り染める花びらを踏みつけていく人々、滲む桃色、ああ今年も春が来た。
空を泳ぐ鯨はきっと飛沫を上げながら青色に沈んでいくのだろう、その時顔に吹き付ける潮水は幾ばくか、轟く波音は何処までも。
君の言葉は桎梏となって僕を繋ぎ、何かをする気力をすべて奪っていく、抜け殻のような僕に寄り添って世話を焼くのが君の生き甲斐かい?
三年前に深い科に落ちてから罪悪感は薄れるばかり、僕の前頭葉はすっかり泥濘に沈んでいる、まるで死んだように生きていきたい。
獣の息は腐った血肉の匂いがする。人と獣が対等になるには人が野生に還るしかなく、薬で命を生かすこと、着飾ること、職を得て評価されること、サービスの対価にお金を払うこと、繊細な感傷に浸ること……“人が人であるため”の、文化的で健全で人間らしいとされるものは全て、同時に人が野生に還ることを拒むものだ。
すっかり呂律の回らない口元は白痴めいて笑まい、君の婀娜のなにかを媚びる眼差し、僕は全てに知らないふりをしてコップに水を汲む。
裸足で駆けていった校庭の焼けるような砂の熱さ、指の間を抜けていくざらつく土、青い抜けるような空と欅の揺れる枝、プランターに植えられた朝顔の苗。
あれが欲しい、これが欲しいってあんた強請るだけで私に何も与えてくれないじゃない、お生憎さま、その程度のおためごかしに引っかかる女じゃないわ。
××が死んだ。血液内の酸素濃度が下がって血圧が下がり、呼吸が弱くなり、それから全てが止まるのはあっという間だった。
夏休みに入って数日後。幼馴染の部屋で我が物顔で寛いでる俺に、あいつが「あのさぁ、」と切り出した。
寮のルームメイトを起こさないよう明け方部屋に忍び込み、音を立てないよう鍵を締めるのに尽力した。
はくはくと開く口は、必死に広がろうとする肺は、一様に酸素を求めて足掻いた。息が、出来ない。
名前も知らない女をこの胸の裡で何度も何度も殺した。
一週間が経った。騒ぐ世間は美味い餌にありつけたとばかり、電車内の広告も露店の雑誌も一様に毒々しく染まった。
コインを投げても表が出る確率は1/2じゃない。何故ならこの世に存在する賽もコインも、無傷なものなどないから。
あなたの唇が俺の名を紡ぐ度、何故だか切なさに心震える。だから俺は、衝動のままにその首に腕を絡め唇を塞ぐんだ。
ホテルの一室に入ったら、バスルームに消えて行く背中を見送る。余計な言葉は交わさない。
靴の踵が潰されて間抜けな音が廊下に響く。ポケットに突っ込んだ手がガムの包み紙を少し裂いた。
世界には78億344万7993人の人間が存在して、ほら、この一瞬で7970人になった、7975人、81人、あっという間に7987人だ。
「もしも必要ないのなら、」○○は一旦そこで言葉を切った。緊張を紛らわせるかのように渇いた唇をひと舐めして湿らせる。「××の死んだ心臓を、俺にくれないか」
××には心臓が2つあった。何を言っているかって? 言葉通りの意味だ。
気配を感じて右を向くと、思ったより近くに××の顔があって軽く仰け反る。ぬらりと黒い瞳は闇を湛え月光に淡く煌めいた。
終幕こそが美しい。演劇や本はそれを擬似的に教えてくれる。
目はなるべく合わせない事だ。不思議に揺らめく青味がかった緑を見たら、きっと錯覚してしまう。
××は普段から髪や頬に触れたり、指を絡めたり、甘く優しい戯れが好きだ。それは大抵彼の気分であって、特に意味のない行為なんだろう。
「それ」は、ひどく醜悪だった。 「それ」は言うなれば欲望であった。その歳の青年には珍しくもない衝動だったが、「それ」の本来あるべき姿ではなかった。
うだるような暑さに拭っても拭っても噴き出す汗。部屋に籠った熱気を縫って逸らすことの出来ない視線に、一種の強迫観念と言いようのない興奮を覚えた。
鬱蒼としげる森は遠目にも近寄り難く、捻れた木々は日当たりの悪さにいじけてしまった様だった。人の通れる道などもちろんなく、獣道と思われる跡が切れ切れに続いている。
××は身体の節々の鈍い痛みに目を覚ました。冷たい床から身を起こそうとすると、首と手足に繋がれた鎖が音を立てる。
僕は生温い水の中にゆらゆらと漂っていた。そこに時間は無かった。感情も無かった。ただ彼が与える物を僕は吸収していった。
特別なんていらなかった。才能なんて欲しくなかった。十六年かけて築いた小さなテリトリーで、ただただ「普通」でいられたのなら。
ホームルームが終わると共に、収まっていた喧騒が一気に蘇る。清掃のために一斉に机に椅子を上げる音、部活の準備で慌てて教室を飛び出すクラスメイトの声。
人より特に優れているわけでも、劣っていたのでもなかった。僕にとっての平凡はしかし、あの日一瞬で壊されたのだ。
帰り道、コンビニで購入したアイス片手に家に向かっていると××が唐突に言った。彼とは最寄りが同じなのだ。
低く心地の良い声が式辞を述べる。聖堂にて厳かな入学式が行われていた。
壁一面に嵌め込まれたステンドグラスから差し込む光が、椅子に座って教えを請う生徒達の上に艶やかな陰影を投げかける。
入学から二週間が経つと少しずつ新生活にも慣れ始め、同調し合う者、反目し合う者、寄り添う生徒の輪が少しずつ形作られていく。
ブラインドの隙間から差す光が空中を舞う埃をキラキラと輝かせる。一歩外に出れば殺人レベルの暑さに見舞われるが、ガラクタばかりの割りに落ち着いた店内は快適を保っていた。
カチャカチャと食器の擦れる音、鼻腔をくすぐる食べ物の香り。パタパタと誰かの足音。それはだんだんと大きくなって、ガチャリと扉が開いた。
退屈で教室の窓から中庭を眺めていた。庭師がいるのだろう。丁寧に手を入れられた花壇は鮮やかな色彩を誇っていて、見ているだけで甘い香りが鼻腔を掠めた気がした。
「……×、…××………××××!」「っ、はい!」物思いに耽っているうちに当てられたのか、教師の怒気を含んだ声に現実に引き戻された。
僕は昔から冷めた子供だった。どれだけ無駄な力を使わず物事をこなせるか、そんなことに全力になる奴だったのだ。
重厚な絨毯が足音を吸収する。かそけき灯に照らされて、回廊に立ち並ぶ石像達が不気味な陰影に浮かび上がった。
天井まである大きな窓から足元へと透徹した月光が伸びていた。季秋漂う中庭も、今は冬の黒々しい河のような晦闇に沈黙している。
扉を押し開ければ冷たい夜気が頬に触れ、銀白の月光に染まった庭は秋めくというより、異界への境界を曖昧にさせるような面妖な気を含んでいた。
近づくほど大きくなる噴水の音を背景に、彼は花壇に咲く薔薇に目を留めた。まるで生を謳歌するかのように大輪の花が微風に揺れる。
昔からこちらを伺うような視線には慣れているつもりだ。そこに込められているのは無責任な関心と少しの畏怖。
「あいつは悪魔の子だ」初めに言ったのは誰だったか。噂は尾ひれを付けて広まり、俺と遊ぶ子供は一人もいなくなった。
窓の外では深紅や白の薔薇が咲き誇り、木漏れ日が斑に地を染める。凍てつく冬を目の前に命を謳歌する草花には目もくれず、教室では単調な日常が繰り返されていた。
子供らしさを捨てることを強いられ、まさにこれから同じ形に思考を刈り取られようという生徒たちは、この狭い空間でただ身を焦がしていた。
神秘的な物語も授業では文法がどうの、動詞の変化形がどうのとつつき回されて色褪せてしまった。××は欠伸を噛み殺して頬杖をつき、斜め前の席を見やった。
洋燈の炎がたまに爆ぜる音とページをめくる音だけが部屋の中に響いていた。時計の針が深夜一時を指そうとしていた。
橙から黄、黄から白へと、その身を尖らせて沖天へと昇る月が石畳を這うステンドグラスの色合いをゆっくりと変えながら、深々と夜を積もらせていった。
噴水のへりに腰掛け、子供のように足をぶらぶらと揺らしている。彼の細い栗色の髪が月明かりに透けて金色に光っていた。
あの朝、遠くから見つめた孔雀色が僕を真っ直ぐ捕らえて離さない。ちらちらと細かい光が踊る。瞳孔の周りは深い蒼翠に縁取られ、瞳の外側に向かって放射状に淡く染まる翡翠色。
鋭い蹴りが脇腹に入り、受け身を取り損ねた俺はあえなく地面に沈む。独特の匂いの染み付いた白いタイルに、鼻から垂れた血が点々と散った。
子供が一人遊んでいる。三才ほどの年で、先ほどから頭の回りを飛び回る蝶に興味を惹かれた様子だった。
昔寝た女が面白い咄をした。恋愛は砂時計に似ている。頭が空になるにつれて心は満たされていく。まるで落ちゆく砂が片方の空間しか満たせないみたいに。
綺麗な物は遠くにあるから綺麗ってどこかのポップソングでも歌ってるじゃん? 見ているだけで満足出来なくなった時点で、君はあらゆる奴に負けてんだよ。
温かいのに少し切なくてドロっとしていて、居心地悪くゆっくり胸を締め付けてくるような……この感情が何か、あんたなら分かる?
彼の手が頬に添えられる。ゆっくりと胸を締め付ける“何か”は友愛とも、優しさとも違う。それはもっと仄暗く、パレットの絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような……得体の知れないもの。
私たちがまだ無知だった頃、人智を超えた存在を愛し愛されていたときが確かにあったのだ。そして、苦しみを与えられて初めて知った、「彼」を畏怖することを。
目の前で何か喚き立てる声を聴き流しながら、思考と感覚がゆっくりと乖離していくのを感じていた。
張り出したバルコニーから月光に染められた薔薇園が黒と銀に縁取られる様を見るともなしに眺める。幻想的な夜は彼の毛羽立った心を静めてくれる。
××の右手は、華奢なデザインのグラスをくるくると悪戯に弄んだ。その度にとろりとした琥珀色の液体が波打ったが、彼の関心は全く別の場所にあるようだった。
静かな靴音が近づき、背中に声が掛かる。「少しは愉しんでる?」人の気配に振り向き掛けた××は、声の主に気付いて固まった。
とある街の奥まった中心部、寂れた商店街の一角に“○○”という店があった。とは言っても申し訳程度に下げられた看板に気付く人は滅多にいない。
降り注ぐ雨が窓を洗う。久しく乾いたままだった大地が水を欲しているかのように、強い風雨が止む気配はなかった。刹那一筋の稲妻が轟き、薄暗い室内を鋭く照らした。
夜の街に消える母を引き止めたくて、真っ赤な口紅を残らず折っておくような子供だった。
ポップソングを焼き直したような言葉だけが上滑りするようだ。
拝啓××さま 僕が真面目くさって手紙をしたためるなんて意外に思うでしょうね。
告白する気概などないと高を括っていたから、告げられた瞬間逃げそびれたと思った。
まさか庇護すべき相手に牙を剥かれるなんて考えもしなかった。
いじらしい態度で隙をつくられると、何時ものように打てば響く返事ができなくて困る。
深みに嵌るのは不味いと警戒するほど、気づけば視線はその男に吸い寄せられる。
過激な歌ばかり聴き好んでいるくせに、いざ口論で言いたい事の一つも形にできない。
「頭沸いてんじゃねぇの」と投げた台詞に自分でダメージを受けた。
名残惜しげに鎖骨にかじりつく馬鹿を、容赦なく引き剥がす。
名前を呼ばれたような気がして、心地よい微睡みから引き戻される。
見上げてくる瞳が澄んでいて、何故か責められているようでイラついた。
「頭の悪いセッ○スがしたい気分なんだよ」と身も蓋もないことを言う。
気まぐれに擦り寄って来たくせに、こちらから手を伸ばせばするりと抜け出ていく。
「酒飲む時もお行儀いいのな」と褒めたら、なぜか拗ねられた。
疲れた体を湯船に沈めたものの、今度は出るのが億劫になってしまった。
知らないものを知らないと言いきれる素直さが羨ましかった。
笑えない冗談と受け流そうとしたら、なぜか声が震えて焦った。
感情を読み取られまいとするかのように、煙草に火をつける彼の口許をぼうと見る。
探り当てたケースには煙草が一本もなくて思わず舌打ちした。
体の隅々まで明け渡してしまうと、こんな事まで許せる自分に驚いた。
彼岸花は血を吸って赤くなるのだと子供の頃に教えられた。
訃報が届いた時、ラブホテルで行きずりの男と寝たばかりだった。
ひとつが満たされれば次が出てきて、飽きるということを知らない。
酔ってとろんとした瞳で見られると、仕舞い込んだ願望が暴れそうになる。
別にお前じゃなくてもなどと平気で嘯くのがおかしかった。
染み込んだ香水を煙草の臭いで誤魔化せると信じ切っている、その単純さが憎らしい。
潮風に奪われる瞳の水分を、ことさらゆっくり瞬きする動作で取り戻そうとした。
肉体に邪魔されず融け合うなんて甘美な妄想を止められずにいる。
貪欲な身体と引け腰な感情が全く噛み合わなくて、少し笑った。
いつの間にか部屋に増える私物が嬉しくて堪らなかった。
冷めきった味噌汁を手持ち無沙汰にくるくる掻き混ぜる。
愛されている自信がないとか、情けない悩みを自分が抱くとは思わなかった。
「願望を押し付けて美化するのも大概にしろ」が最後の会話だった。
不在票を受け取ると、あいつの家に置いた私物を取りに行く口実を失ったことを知った。
顔を思い出せないほど月日が経ったが、あの視線や縋るような目は忘れることができない。
煮詰めた果実のような声と言ったら、詩人かよと鼻で笑われた。
可愛くない奴と吐き捨てたら、お前がなと舌打ちが返ってきた。
大して親しくもない泥酔した知人なんて、お荷物以外の何でもない。
激情も度を過ぎれば一周まわって何も感じなくなるのかと、この歳にして知った。
最近は服に染み付いた煙草の臭いを消すのも面倒になってしまった。
天邪鬼も過ぎればただの我儘だと、気づいたのがあまりに遅かった。
病人は寝てろと真面目な調子で布団に押し込まれたのが、今更常識人気取りかと癪に障った。
意外に器用な指先は慣れた様子で刃物を繰って、林檎の上でしゃくりと赤い蛇を作る。
付き合う時、半人前同士が集まれば一人前になるねとよく分からない口説き文句を言われた。
雨に混じるよく知った匂いを気づかれないように吸い込んだ。
投げつけられた言葉よりも、冷めきった二人分の食事に胸が痛んだ。
あいつの靴先が砂利を抉る様を見るともなしに眺めていた。
還る場所の異なる二人が互いの止まり木になりたがった。
くだらないと吐き捨てた「恋人らしい事」にどうしようもなく憧れている。
愛だの恋だの、互いの汚ねえ所さらけ出してなんぼだろ。
薄暗い過去を背負い、背徳に微笑んでいる妄想がしっくりくるような男だった。
羨望も焦燥も劣情もひっくるめて愛とか言っちゃうチープな恋愛が俺達にはお似合いだ。
お前はひとりじゃ何も出来ないねと構われるほど嬉しかった。
会えない年数分変わっていくのなら、今夜後ろからそっと首を絞めてしまいたかった。
もし俺が調子こき出したら、蹴飛ばして路地裏にでも捨て置いてくれ。
可愛げのひとつも魅せられないくせに、よくまあ恥ずかしげなく不平ばかり口にできるよな。
知ったような口を利くくせ、想いのひとつも背負う覚悟はないんだな。
疲れた顔で「もう終わりにしたい」と言われたのに、何と返せばいいのか分からない。
傷痕の一つでも残してやればよかったと、今さら嘆いたところで遅いけれど。
対等である筈なのに、あんたに逆らえない自分が情けない。
都合のいい存在として遊ばれたくても、鼻につく恋情が隠しきれなかった。
あんたの罪悪感を煽るため、とうに治った後遺症が辛いなどと平気で嘯く。
「大丈夫」と線引きされてしまうと踏み込む勇気がたちまち消えていく。
貴方といると自分の中のみずみずしい感情が吸い尽くされる。
外見を褒められると、他に言及する所がないのかと穿った見方をしてしまう自分が嫌だ。
そんなに柔らかい肌が恋しいなら、さっさと女の所へ行けばいい。
面倒そうに生返事されると、掻き集めた気力が途端に離散する。
引き止められることを期待して家を飛び出たから、肩透かしを食らって靴の踵を踏み潰す。
差し出された手は信用できないと拒むくせ「愛されたい」と洩らす身勝手さに反吐が出る。
男の趣味が致命的なあんたに「生き様が素人」とか扱き下ろされたくない。
全然褒めていない声音で「さすがだわ」と吐かれると、胸の痛みが誤魔化せない。
狡猾さを無垢で隠したあなたは、今夜も完璧な装いで狩りをする。
プライドに躓いて、離別を先送る泣き言のひとつも出てこない。
あなたを手中に収めた後も満たされない承認欲求が疼く。
都合よく掌で転がされるのに愛着を抱き始めたので、戻れないところまで来てしまったんだろう。
人の痛みが分かるなどとしたり顔で語るに落ちる。ご都合主義の鈍感さで随分生きやすそうですね。
言い訳でも並べればいいものを、プライドが邪魔をして誤解を解く術がない。
裏切りは許せないけれど、あんたを手放すには掛けた時間と労力が重すぎた。
家から蹴り出され、手持ちもないので今夜は何処にも居場所がない。
「愛してる」で全てを許されたい貴方の小賢しさと、それに依存している自分が嫌いだ。
爛れた関係から這い上がる可能性を聞いたら「ゼロに何掛けてもゼロだろ」と返ってきて唇を噛んだ。
友人ですと紹介される度、どうしようもない焦燥をあなたに打ち砕いて欲しいと願う。
行く先々で粉をかけて廻るあんたの首根っこを掴み、口に噛み付く妄想で自分を慰める。
人間の才能はないけれど、もしするなら後追いだけは失敗しない気がする。
まともな会話も無く、お前が何考えてるかなんて1ミリだって分かるはずないじゃないか。
虚栄心ばかり頭でっかちなお前のため、理想の恋人を務めるのもそろそろ虚しくなってきた。
約束も守れない奴が、たまの失敗を鬼の首を取ったように責め立てんなよ。
僕には貴方が一番でも、貴方にとっては大勢の中の一人でしかない。
ふたり暮しも楽しかったのは二ヶ月程度で、今は部屋に横たわった停滞感で息が詰まる。
罪悪感に苛まれ色々買い与えられても、本当に欲しいものは金じゃ手に入らない。
後暗いことは隠そうとするほどドツボに嵌るって、知らないなんておめでたい奴。
罪悪感を煽れば思い通りになるのだと、幼稚にも信じ続けてしっぺ返しを食らってほしい。
穢された体ではもう触れる資格もないか問うたら「そんな事ないよ」の答えを裏切る震えた手。
匂い立つ花盛りに群がる蝶を払っても払ってもきりがない。
愛があれば何をしても免罪符とか、お手軽感動ストーリーかよ 反吐が出ら。
あんたと出会い改心したところで過去の所業は消えないので、いつか対価を支払う日を憂鬱に思う。
無下にされた恋心と、行き場を失った言葉たちにせめて墓でも建ててやりたい。
血の通わない暴言ばかり吐くので、その腹をかっさばいて艶やかな肉色を確かめたい。
あんたの鉄面皮を砕けるなら、いくらでも一過性の嗜虐に身を任せたい。
今さら無欲を気取ってみたところで、自分のものにならない薬指から目が離せない。
金の切れ目が縁の切れ目らしいので、蜜を吸わせる間に甲斐性なしの退路を塞ぐ。
好意を向けられると、誰であれ気持ち悪いと思ってしまうのを止められない。
今生の貴方は運命じゃなかった人、ならば来世来世また来世に期待しよう。
身の程をわきまえろと牽制され、瘡蓋を剥がすような恋愛あそびしか知らない過去を恨む。
君が好きなのは愛される自身だろうけど、狡い僕はわざわざ教えてやらない。
背徳感でさえ扇情のうちが華、鬱々として今さら何処へも行けないな。
泣けりゃ名作とでも勘違いしてる所とか、君自身の言葉を借りれば「短絡的」。
涼しい顔で「好きだ」などと騙るので、寄る辺もない劣等感で一人相撲する。
近づき過ぎて幻滅するより、理想のあなたを見たいように愛でていたい。
同一化なんて見果てぬ夢を見れど、肉体はもちろん思考でさえ距離を埋められない。
試し試されの関係は、横断歩道の白線だけ踏むように猜疑と好奇で忙しない。
自分の機嫌も取れない同士の恋愛は、二人分の肥えた自己愛で生臭い。
口先ばかり達者なあんたは、悪趣味な自己満足の上でワルツでも踊ってろ。
探り合いを小出しにするような距離感じゃ、ふいの沈黙がまだ重い。
なかなか始まらない話に手持ち無沙汰で、普段見向きもしない埃を拭うなどしてみる。
手遊びにラブホのライターを弄りながら、写真の一枚でも撮っておけば良かったと歯痒く思う。
そんなに他人に興味がないなら、水面に映った自分にでも見惚れてろ。
××年前のアルバムを形見に貰っても、出会う前のあなたを今更知ったところで虚しいだけだ。
僕に欠片も依存せず、楽しげに生きるあなたを妬ましく思う。
手が届かないほど魅力的とはよく言うもので、不知火を掴むような恋ばかりしている。
人生最後の日だったらなどと、お膳立てがなけりゃ優しく出来ない意気地無し。
嫌な予感が拭えなくて、無意味に喋り倒すのを止められない。
我慢できず覗いた横顔があまりに無機質で、玉砕を確信した。
一番近くで見ていたのに、交わらない価値観で隔たるたびに遣る瀬ない。
変わっていく様を傍観するくらいなら、よく知る貴方のままで虚抜きたい。
あなたから初めて貰ったネクタイピンをいつまでも棄てられずいる。
草木も眠る丑三つ時、会えない夜にあなたが安らかであればと願う。
「優しい人だね」という褒め言葉が、猫かぶりな僕には皮肉にも嬉しかった。
理想と現実の齟齬は錆び付くばかりで、きっと今更分かり合えないんだろう。
一瞬のうち濡れそぼつ背を見送って拒まれた傘に視線を落とした。
いくら焦がれようと、お前にとっては頭数合わせしか能がない緩衝材程度なんだろう。
お前が望めば今夜道連れになったって構いやしないけれど、きっとそんな覚悟もないのだろう。
焦げ付くような眼差しを呉れるなら、髪でもどこでも触れてくれれば良かったのに。
期待するほど傷つくと知れば、後ろ姿ばかり視線で追い縋るようになった。
過剰に甘やかすほど、自分にはまだ存在意義があるようで嬉しかった。
何処まで許されるのか知りたくて、だんだんと度の越えた献身を求めていった。
別れてから貴方が吸い始めた煙草の銘柄に意味を探してしまう。
嘘の質量ひとつ釣り合わない俺たちに、重なる感情などある筈がない。
屈折した恋情は、僕の気まぐれで右往左往する君を見て満たされる。
ささやかな肯定感を欲しても、フリック一つでまた使い捨てにされるのだろう。
僕は何故、あんな人に褒められようと思って必死に生きてきたのだろう。