鼻腔を掠める潮の匂いにこんなものだっただろうかと記憶を擦り合わせる。これに似たものを幾つか知っているが思い出せないような、雑多で生々しい匂いだ。
「おーーーい!」
真っ青な空と、色の飛んで見える白い砂浜。その歪みない隙間で、男が1人、白く泡立つ波を背景に両手をバタバタと振ってみせた。照り返しの眩しい視界に、それはまるで映画のワンシーンのように鮮やかだ。××が追いつくと、律儀にこちらを向いて待っていた兄はまなじりを柔く弛める。潮騒に向き直った両腕を、抱擁を受け止めるかのように広げた。
「どうだ!春の海もなかなか風情があるだろう?」
何故だか誇らしげにしている。演劇めいた仕草は更に磨きがかけられて、ひとり舞台のつもりなんだろうか。別段返事を求められているわけでもなさそうなので、青色の境界に目を凝らす。春の海。2月中旬の風は容赦なく瞳の水気を奪っていく。