Untitled

、一度だけ死体を見たことがある。

大家族ゆえ家計はいつも火の車で、夏休みに家族旅行など夢のまた夢だったが、どういう経緯か両親が突然「山に行こう」と言い出したのだ。×つ子を育てる弊害かどこかぶっ飛んだ親なので、どうせテレビを見て思い立ったなどと碌でもない理由だろう。そんなわけで父親の借りてきたワゴン車に最低限の荷物と一緒に詰め込まれ、小学生の夏休み、×つ子は初めての遠出を体験したのだった。

さて、当初の予定通り東北の山に入ったものの、テレビの編集された映像とは違い、頂上を目指すには長い道のりを自分らの足で登らねばならない。都会っ子の子どもらは初めはしゃいでいたのだが、まだまだ先が長いと気づくや口々に文句を垂れた。あの手この手で両親に宥めすかされえっちらおっちら足を運んでいたのだった。すると次男が「あっ!」と声を上げる。視線の先を追った子供たちは、山道の脇の渓谷に何やら“あってはならないもの”を見つけてしまうのだった。大きな岩の上へ倒れ伏した小さな人影を、好奇心を隠さない×対の瞳が見つめる。釣り人が渓流に足を捕られたか、観光客が何かの弾みで転落したか。不運な人間は息があるのか無いのかもよく分からず、うつ伏せに横たわっていた。今にも動き出しそうで、しかし普通ではない。生きている者とは決定的に何かが違っている。そんな不気味で興味深い光景が×人の心を捉えて離さなかった。その後、父親がどこかへ電話を掛け、母親に追い立てられるようにして先を急ぎながら、子供らは口々に己の興奮を語ったのだった。

「お前びびったか?」

「びびってねーし、あんなの生きている奴と同じだろ」

やがて言い合いが始まる。誰が一番この怪奇を楽しんでいるか、ヒートアップする兄弟をよそに一人だけ口を噤む子供がいる。彼は後ろ髪引かれるのか、時折、名残惜しげに振り返った。とっくに過ぎたにも関わらず、まだあの屍体が背後に見えるとでも言うように。

遠い遠い記憶が、頭の奥底から蘇る。なぜ今更こんなことをと問われれば、目の前の光景に誘発されたからに他ならない。あの夏の思い出は、眩い緑と渓流の水音、死に急ぐ蝉の求愛歌と共に、どこか憧憬を孕んだ透き通った色をしている。それが実際の印象なのか、過去を懐かしむ願望なのかは不明だが、現在突き当たっている問題とは全く対照的なのは確かだった。

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