今際の際にはあなたに名を呼ばれたい
瞳の中に極光を飼っている
白昼夢のうす皮の向こう側
薄明、夢の残滓
あなたの瞳の無垢
瞳に名残り雪の肖像を描く
心臓の把手を両側から引く均衡を保っている。
河川敷を抜ける風が声をさらっていき、どこからか漂う沈丁花の香りがいつまでも鼻腔にとどまった。
あなたの声の響きを思い出せなくなって久しいが、あなたの身体の部分的なディテールをふとした瞬間に懐ってしまう。それは欠伸を咬み殺すときのちょっと間抜けな唇の動きだとか、うなじに二つ並めた黒子の位置とか、シガレットをつまむ右手の人差し指の微妙な曲がり方、朝日に透ける赤みさした耳の、かすかに生えた金色の産毛、腰のあたりに白く薄く引きつれた傷痕だったりする。
月曜の慌ただしい朝に始まって金曜の21時、列車で家路を揺られる草臥れたあなたの閉じた瞼に透ける細かな血管を、毎日ただしく帰ってくるあなたの、まっとうに仕事をしてまっとうに疲れて帰ってくるあなたの、日曜日、鋏を当てて髪を切っているときの俯いたうなじの下を流れる、あなたの身体に目に見えて溜まっていきここに集結して脈を打たせている血の流れを思って、生きた肌の匂いを吸い込み、汗で光る首筋の下でどくどくと脈打つそれに私の喉仏はふるえ、咥内にあふれる唾液を飲み下す。
不知火を掴まえるような恋をしている
宇宙の秘密をひも解く
つま先浸す余波
夜明けの赤らみさした頬
あなたの心を満たす焦土
たとえば、胡桃の食べ過ぎで鼻血を出すような間抜けさに笑ってしまうような、「⋯⋯そういえばさ、洗剤そろそろ切れるかも」。突然の寝言にくすっと笑いが込み上げてしまったり、大分ぬるめに淹れた珈琲に牛乳を足してやっと飲める猫舌とか、あなたの不完全さをいちいち心の裡に取り上げてはゆっくりとなぞる時間は、きっと「しあわせ」とか「やすらぎ」と同じかたちをしている。
稜線にわずかに残った夕日の切れ端を瞳をすがめて見つめるあなたの、金色をすこし垂らした寂寞のまなざし、その中でさんざめく光の粒子たち。
カーテンの隙間から火光がその穂先をあなたの横顔に薄く伸ばしたとき、そのまなじりをゆっくり落ちて敷布に吸い込まれていったひと筋の雫。
薄明(はくみょう/はくめい):日の出のすぐ前や日没のすぐ後の薄明かり(薄暗い)の状態のこと。明け方や夕方
不知火:夜、海上に多くの火の影がゆらめいて見える現象。漁り火の異常屈折反射によるといわれる
火光:明け方、東の空にちらちら光る日の光。曙光